マッハの愉悦
プロ意識の高い職場で
■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄-
毎回のフライトでのチームワークは機内サービスのみならず、緊急時対応にも大きく影響します。ですからお客様の情報やサービスについて、乗務前の細かい打ち合わせはかかせません。
ポーラールートのアラスカ
■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄-
1965年からパリ線、ロンドン線を皮切りに始まった北回り欧州線は91年まで日本から欧州各都市へ運航していました。アラスカのアンカレッジを経由して
長期戦だった今はなき南回り欧州線
■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄-
1960年代から80年代後半にかけて、南回り欧州線が存在していたのをご記憶でしょうか。今では機体の性能アップでニューヨークまでも直行便がありますが、
世代交代の狭間の中で
■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄-
「よど号事件」に始まった1970年は大量輸送時代の幕開け。B-747型機、通称”ジャンボジェット機”がデビュー。120人乗りで6名のアテンダントでやっと仕事にも慣れたのに、いきなり360人乗りで20名のキャビンクルーに。
よど号事件から学んだ教訓
■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄-
キャビンクルーとしての生活は1か月に10日間の日本での休日以外は海外で過ごすというパターン。東南アジア線以外はほとんどが夜の出発で徹夜乗務でした。
運命的な人生のレールに乗って
■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄-
日本の海外旅行自由化は東京オリンピックが開催された1964年。これを機に誰でも旅券取得が可能になりましたが、大卒の初任給が平均2万円弱のときに、ハワイ旅行が現在の換算で300万円もした時代ですから、一般庶民にとって「海外」はまだ高嶺の花でした。