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りらいぶジャーナル

プロ意識の高い職場で

■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄-

 毎回のフライトでのチームワークは機内サービスのみならず、緊急時対応にも大きく影響します。ですからお客様の情報やサービスについて、乗務前の細かい打ち合わせはかかせません。これをブリーフィングといいます。国際線乗務の場合、出発時間の1時間45分前から始まる、チーフを中心とした大事な打ち合わせです。ヨーロッパやアジア基地の外国人キャビンアテンダントが同乗のときには英語でのブリーフィングも行われます。
(アムステルダム空港 KLMのオフィスで出発前のブリーフィング)

 出発1時間前になると、機内で機長からの飛行計画と飛行中の情報を共有する方法などのブリーフィングを受け、持ち場の緊急機材の確認やサービスアイテムの準備を行います。そして30分前、笑顔でお客様をお迎えするという流れになっています。

 その後はみなさんが機内で知る私たちの姿なのですが、フライトが短時間であれ長時間であれ、休む間もないほどの膨大な業務量であることは事実です。私にとっては娘くらいの年齢の部下たちがお客様へのサービス精神を忘れず、真夜中でもトイレの掃除をしたり、様々なイレギュラーな注文にもすばやく対応したり――。本当にプロ意識が浸透した職場だと感じます。そういう意味で、いつまでも憧れの職業であってほしいと思います。
1980年代、B747の2階キャビンで

 よく機内でお客様に、「(乗務員の)○○さんを知っていますか」と聞かれることがあります。けれどもJALには約6500人のキャビンアテンダントがそれぞれまちまちの時間に出退社し、世界中に散らばっているので、何十年と勤務していても一度も同乗したことがなく顔も知らない人が多いのです。

 それからバブル崩壊までは、9時間を超えるフライト乗務の場合には自宅から成田往復、早朝便の出頭時などはタクシーでの通勤は珍しいことではありませんでした。よくいわれる黒塗りのハイヤーはパイロットの送迎が主でした。今は公共交通機関を乗り継いでの通勤となり、フライトバッグやスーツケースはその都度宅配便で送るのです。スーツケースのパッキングは今でも私の特技の一つですね。

 私たちの生活はフライトパターンの離日日数によって帰国後の休みが決められています。例えば4日間の離日で2日間の休日、香港・マニラ・グアム・中国などは折り返しの日帰りで翌日が休みといった具合で、1か月のうち10日間は日本にいられるのですが、時差や気候の違う国への行ったり来たりは体調管理が基本。体力にも自信がないと笑顔も出ません。私は病気らしい病気をすることなく、40年間もフライトを続けることができました。これも元気に育ててくれた亡き両親のお陰だと改めて感謝しています。
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【いしかわますみ】海外ライフ・コンサルタント。1968年日本航空に入社後、アテンダント(スチュワ-デス)、アシスタントパーサー、パーサーを経て、90年からチーフパーサーとして後進の指導・育成に当たり、2009年退社。40年間のフライト乗務時間は地球560周分に相当。R&I会員の横顔「日航40年のキャリアでシニア支援活動も」