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りらいぶジャーナル

経済発展の需要に応える

ベトナム生活10年、教育システム開発に尽力
●田中 龍さん

 日本語教師養成講座を修了後、1999年からベトナムに渡航し、日本語教師を務めていた田中龍さん(77歳)は2007年夏から日本語学校の経営に乗り出した。

 「それまでは財団法人日本ベトナム文化交流協会の日本語センターで日本語教育に携わっていました。ただ、そのころからベトナム経済が急速に伸びていったのです。この変化に応じるためにはベトナム社会の需要を満たすことのできる教育を目指さなくてはならないと確信し、新たな日本語センターを設立する決心をしたのです。ラッキーだったことは、同様の志を持ったベトナム人教師が参加してくれたことでした」


 現在、田中さんはミンニャット日本語センター・教育開発ディレクターとして働く。田中さんによると、ベトナムに進出している日系企業では日本語を正確に理解し、日本人と日本語で会話ができる人材の需要が増えた。そこでさらに日本語教育の応用編ともいえる社会人としての日本語、すなわち面接でのお辞儀を伴うあいさつに始まり、面接時の受け答え、ビジネスマナーなど細部にわたる教育が必要だという。並行して日本の季節ごとの文化行事なども折に触れて教える必要も出てきた。

 学生数はおよそ300名、教室での授業のほか、企業への教師派遣件数が大幅に増えた。「日本に一時的な出張者や技術研修者を対象にした短期特訓コースの需要が今後高まる」と田中さんは見込む。企業の要望を読み取り、必要とされる教育を提供するために商品開発には余念がない。またIT産業への対応のため、英語教育も視野に入れている。

 こうした情勢に、現地の大学または外国語大学の日本語学科を卒業したベトナム人が日本語センターに日本語教師として就職してくる。初級文法など十分な説明が不可欠な項目は彼らがベトナム語で、発音や会話文は日本人教師が担当するというシステムだ。

 田中さんはベトナム語も勉強した。学習者の母語をある程度理解していないと、教えるポイントがはっきりつかめないからだ。

 日々成長著しいベトナムに生きる若者の姿に、田中さんは「ハングリー精神と上昇志向」を見る。「貪欲に勉強し、資格と実力を身に付け、自分のセールスポイントを増やして少しでも収入の多い仕事に就く。そして将来、家族ともどもより良い暮らしがしたい。そういう思いがひしひし伝わってきます」

 だが、一方で日本の若者の頼りなさを感じている。10年後、20年後の日本とベトナムの関係を想像する田中さんの心に不安と楽しみが交錯する。

 さらに最近ではベトナム国内でも貧富の差がますます開いていく実情がある。「高額な費用をかけて子どもを自費留学させている家庭がある一方、着のみ着のままで暮らすベトナム人もよく目にします。いったいこの国は将来、希望の持てる明るい国になるのだろうか――。今の日本がますます厳しくなっていく状況とつい引き比べ、どちらが自分にとって張り合いのある国なのか、考えがまとまりません」と複雑な心境を明かす。

 田中さんは定年まで日本の大手出版社で主に教育雑誌の編集者として活躍してきた。また出版物の海外営業にも携わったことから、外国や外国語に興味を持ったのだという。「編集の仕事および海外営業の仕事を通して言葉、特に日本語自体に興味が湧いたんですね。それで定年退職を前にして自分の経験を生かす仕事にはどんなものがあるのか、同じ出版社の日本語教材の編集者に相談したところ、日本語教師はどうかと勧められたのです」

 そして養成講座に通うことになったのだが、多くの経験者が語るように、日常当たり前のように使っている日本語も教える立場になると意識を変えなければならないという事態に直面する。「日本人が学校で習ってきた文法とはまったく構成が異なることがわかりました。外国語としての日本語であり第二日本語といった理解が必要ですね。まさに目からうろこ、新鮮な印象を受けました」。学べば学ぶほどその面白さと複雑さにのめり込んでいったという。

 だが、教師として赴任してから、「日本で日本語を教える場合と外国で日本語を教える場合では根本的に異なる発想が必要だ」と気付かされた。田中さんは教師養成講座で、英語や現地語を使わず日本語だけで教育する直説法を学んだ。すると、「学生はこれから習おうとしている日本語で説明を受けるという、一見矛盾した印象を受けてしまいます。ですから、よほどの経験を経て授業のノウハウを身に付けた教師でない限り、学習者に『日本語は難しい』という一種の抵抗感を持たせてしまうのです」。おそらく、どの教師にも経験があるのではないだろうか。

 ベトナム生活は今年で10年目。同国の生活や文化への理解が進むにつれ、「日本人であることを忘れることもしばしば」と田中さんはいう。

 「確かに、外国人と見れば料金稼ぎにわざわざ遠回りするタクシー運転手、値札のない商品に倍以上の値段を吹っかけてくる道端の物売りのおばさんなど腹立たしい思いも数知れず。でも、バスに乗り込めば若者がすっと立って席を空けてくれる、といったような日本ではほとんど感じられなくなった人間同士の暖かさ、親しみを感じることも多くなりました。それが私にとって、ベトナムが居心地のよい場所になってきた原因の一つかもしれません」とベトナムの魅力に魅入られているようだ。
(2009.7.23)

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