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りらいぶジャーナル

りらいぶインタビュー【ゴルフと健康】

楽しきかなゴルフ人生
その醍醐味をシニアに
高根カントリー倶楽部 原田利彦 さん
           田邊和雄 さん

 かつてゴルフは「亡国神話」の代名詞のごとくいわれた時代があった。当時は一部富裕層のスポーツとも揶揄されたが、その後はわが国の高度経済成長の波に乗って大衆に普及、今や完全に庶民の支持を得た。しかも体力が続く限り、年齢差に関係なく楽しめるスポーツであり、過度にならねば健康にもいい。まさにシニア向きだが、今回は昭和30年代からゴルフ場経営に携わってきた専門家にゴルフの醍醐味、楽しみ方や健康面まで幅広くお話をうかがった。

《聞き手:NPO法人リタイアメント情報センター理事長 木村 滋》

若いころはゴルフ三昧
苦労絶えぬコース経営

木村 原田社長はお父様の倉治さんが昭和37年にゴルフ場をオープンされたわけですが、そのころは航空会社勤務だったそうですね。


原田 そうなんです。結局22年間もいたんですが、ゴルフを始めたのは最初の赴任先のロサンゼルスでした。1年間は単身だったのでゴルフ三昧の日々でした。当時は体力もあり若かったから上達も早く、1カ月で100を切り、3カ月で80をクリアしましたね。
木村 それはすごい! それでゴルフ場の経営にも興味を持ったのですね。
原田 いや、当時の日本航空は全盛を極めており、私の最後の赴任地はイタリアのミラノで、営業所の責任者をしていました。海外での日航の位置づけは日本人会のなかで福利厚生的な仕事をすることでした。したがって、ゴルフ会の主催、冬場はマッターホルン(イタリア側のチェルビニア)のスキー旅行などの企画を実施し、日本人会の家族の方々から喜ばれていました。そんなわけで日航時代は充実した日々を送っていましたが、母親から父の容体が悪化、再起不能ゆえ帰国して家業を継ぐように言われました。それで昭和53年に日航を退社し、今の仕事に関わるようになったのです。
木村 田邊さんは高根カントリー倶楽部の創成期からゴルフ場経営に携わっているそうですね。


田邊 ゴルフ場オープンの話が持ち上がったときから私も手伝うことになったんですよ。場所は埼玉の熊谷です。今は道路事情がよくなりましたが、当時は高速道路もなく、行くのに難儀でした。理事長は当時、日航の初代社長だった柳田誠ニ郎さん、特別会員に石井光次郎さん、会員には元文相の灘尾弘吉さん、旧八幡製鉄の稲山嘉寛さん、旧富士製鉄の永野重雄さん、富士銀行の岩佐凱実さんや日本鋼管の河田重さんなど政財界のそうそうたる方々が名を連ねました。高根カントリー倶楽部は今でこそ評価をいただいていますが、開設にあたり紆余曲折があり、オープンできたのも、ひとえにこうした方々のご尽力と後援の賜物と思っております。柳田さんは非常に厳しい人で、「約束したら何があってもコースへ行く、そのうえでやりたくなかったらやめる」とよく言われました。


木村 私はゴルフが盛んな大学を出ましたが、学生時代は野球をやってました。ところが外資系の会社に就職し、昭和40年代に関西勤務となり、当時珍しい週休2日制だったものですから暇があり、すっかりゴルフにはまってしまって。   
田邊 私も昭和31年ごろに西ノ宮、宝塚と関西の名門コースはほとんど回りましたよ。
木村 あのころはグリーン上で商談するなど仕事の延長線上のようなゴルフが多かったんじゃないですか。
原田 そうでした。でも、今は少なくなりました。何しろ平日のお客さんが減った。景気にもよるのでしょうが、最盛期の3分の2ですよ。だからといってコースの維持費は変わらない。むしろ高くなっているものもある。余談ですが、帰国して家業のゴルフ場経営に携わるようになったとき、暑さで有名なところでしたから夏に芝が全部やられていた。それで2年間は泊まり込みで芝の張り替えをやりました。キャディーさんたちもお客さんが少ないと上がったりですから、一緒になってやってくれた。そんな苦労した時代もありました。

80過ぎてもできる希有のレジャー
シニアにプレーの機会を提供

木村 ところで、最近ご自身のゴルフはどうですか。
原田 私は毎週土曜日にはコースへ行きます。60歳を過ぎてから同じ年格好の方と回るようにしています。予約表を見てメンバーが足りない年輩者のパーティーでは若い人を入れられないから、私が加わるようにしています。
田邊 メンバーのなかには元気にプレーしている81歳の方がいます。その方は電車でやって来て、終わると自宅近くのホテルのジムでトレーニングしてから帰宅するそうです。雨でもやって来ますし、見習うべきですね。
木村 すごいですね。シニアのゴルファーに何かアドバイスはありますか。
田邊 歳を取ると距離は出ないし、コースに出るのは面倒になる。でも、引きこもりは駄目。仲間を作って楽しくなることをまず勧めます。それには寒い日、暑い日は避け、カートを使用してもいいですが、健康のため歩くことも忘れないようにすることですね。
原田 それと料金の問題がある。私どもは愛好会を作り、平日に限っては年会費3万円、プレー料金はキャディーさん付きで1万1230円、これに食事代となります。お歳を召した方のカート利用でも1050円の追加で済みますから、気楽に楽しめると思います。私どもはメンバーコースですが、それなりのマナーを守っていただければシニアゴルファーにいくらでもプレーの機会は提供しますよ。
木村 それは心強い。ぜひ、私どもの会員の方にもお知らせしたいものです。
(2008.12.29)

●原田利彦(はらだとしひこ)
1933年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒。日本航空勤務を経て、高根カントリー倶楽部常務理事を歴任後、現熊谷観光開発株式会社高根カントリー倶楽部代表取締役。財団法人日本政治経済調査会副理事長。

●田邊和雄(たなべかずお)
1928年、神奈川県横浜市生まれ。高根カントリー倶楽部の創設からゴルフ場経営に尽力し、同クラブ理事を歴任後、現熊谷観光開発株式会社高根カントリー倶楽部専務取締役。財団法人日本政治経済調査会理事長。

●木村 滋(きむらしげる)
NPO法人リタイアメント情報センター理事長。学習院大学卒業後、オリベッティなどを経て日本のITベンチャーの草分けであるCSKに入社。CSKと日本IBMの合弁企業、ジェー・アイ・イー・シーの社長、会長を歴任。2004年に退任し、07年から当職に。