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りらいぶジャーナル

教師への道 人生の決断

夢実現への推進力に
●北村剛さん

 広告代理店を早期退職した北村剛さん(55)は昨年10月からインターカルト日本語学校の日本語教師養成講座に通い始めた。

 「本屋が好きでよく行くのですが、書棚を見ていて日本語教師という言葉が目に付きました。それで数年前にも養成講座とはどういうものか、いくつか見学に行ったこともあったのです」

 だが、いざ学習を始めてみると、まず「年を取ったこと」を実感してしまったという。「新しいことを吸収するのにどうしても時間がかかってしまう。でも、20代の若い人から同世代、私より上の世代とクラスメイトのみんなに助けてもらっていますから、楽しく勉強できますよ」。

 また、学習面で苦労しているのは音声だそうだ。普段私たちは無意識に音を発しているため、理論付けて説明することができない。北村さんも「勉強するのは難しい」と顔をしかめる。

 ただ、北村さんはコピーライターとして仕事をしていた。言葉に人一倍気を遣うことができる。
 「私自身、言葉を使いこなす専門家と自負しています。言葉は言霊。言葉に何を込めるのかが大事なことです。それを学習者に伝えたい。日本語を通じてステップアップしようとしている、夢ある学生の背中をポンッと押せる教師になりたい」

 知人からは「昭和の語り部」といわれるほどだという。日本語の美しさや守っていきたい日本語を大切にしているのだ。
 「言葉は生き物ですから、変わっていくのは当たり前のこと。息子や若いクラスメイトが話す言葉を聞いていても、私の世代とは違うことを実感します。でも、残していくことも大事だと思いますね」

 北村さんが身を置いていたのは広告業界。昨今の業績の厳しさに、「この先のことを早めに考えなくては」と50歳のときに将来を意識し始めた。周囲の仕事仲間にも閉塞感を感じ、「自分はそうなりたくないと思った」。
 「日本語教師になることは自分で決断したこと。これからの人生は自分で決めたい」

 会社という組織から外れたこと、そして日本語教師という選択をしたことが今後どういう形になっていくのか、不安は当然ある。しかし、模索する意欲があるということは「まだやれる」と前進する力が湧いているということだ。

 「できれば海外で教えたい。とくにアジアの若い人たちの勢いを感じたい」
 近い将来、北村さんのパワーアップした力とアジアの若い力が融合し、閉塞感漂う日本の突破口を少しでも開くことができるかもしれない。

 「息子には、父親が会社を辞めて迷っている姿を見ていてほしいと思っている」
 北村さんの挑戦は家族への、同時に退職後を生きようとしている世代へのメッセージなのだ。
(2011.01.20)

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