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りらいぶジャーナル

広がる活動に夢膨らむ

<おもちゃ病院あっちこっち>
谷正志さん(日本おもちゃ病院協会監事、おもちゃドクター)

 「自分の子どもが使うおもちゃを直していたことが楽しくて、おもちゃ屋さんに行って修理してあげたいと思った。それが夢でした」
 谷正志さん(70)は鉄道模型や自動車、飛行機などのおもちゃが好きだったこともあるが、修理する楽しみを若いころから感じていた。仕事でも大手通信機器メーカーで機械設計・開発に長く携わっていた。

 定年前の1996年、朝日新聞に「おもちゃのお医者集まれ」という記事が出ていた。おもちゃドクターの松尾達也氏がドクターのネットワークを作ろうと呼びかけたのだ。これだと思った谷さんは会社の許可を取って発足式に出席した。それが現在の日本おもちゃ病院協会の始まりだ。

 会場で知り合ったドクターが杉並区でおもちゃ病院を開院していたため、早速弟子入りした。「ずっとやりたいことだったのですぐに飛び込みましたね。それからはもうドクター一本です。過去に学校で勉強したメカニズムの知識が生かせるし、自分が好きでやりたいことをやって子どもたちに喜ばれるのですから、これほど幸せなことはないと思います」

 そんな谷さんの下に、直してもらったことへの感謝の気持ちを著した礼状が届くこともしばしば。直した人形の持ち主である女の子から、バレンタインチョコをもらったこともあると笑う。「みなそれぞれ思い出のあるおもちゃですから何とか直してあげたいと思うし、実際に直って喜んでもらえると感動しますね」

 おもちゃドクターとして活動していると、修理だけでなく付き合いの幅も広がっていったという。
「発光ダイオードを使った作品を創作しているアーティストに相談を受け、配線などを手伝いました。また小田原桜まつりで、子どもたちに名産品のかまぼこの板を使っておもちゃを作らせたいのでキットを制作してほしいという依頼もありました。このときは数も多かったので工房の仲間に協力してもらいました」

 現在、協会の監事も務め、活動が適正かどうかを見極める立場でもある。「ドクターにとって役立つ協会であるよう、もっと人的交流が必要だと思います。それをどうしていくか、これからの課題ですね」

 谷さんは現在、立川市を中心に月10数回、杉並区、日野市、東村山市、所沢市、入間市各地の病院を巡る。「おもちゃの修理はちょうど冷蔵庫の中身を見て、余りものを工夫して料理するのに似ています。手持ちの材料でいかに工夫して直すか。そこに一番のやりがいと直したときの達成感があります」
 体が動かなくなるまで、この夢を続けたい――。谷さんは今日もどこかで挑戦し続けている。
(2010.02.19)
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