コミュニケーションの厚い壁
アラカンの俳優修行 ~1~
信田参平
私が会社員生活の最後に選んだ仕事は「日本語教育」に関連する会社で働くことでした。
社会人になってからすでに2回転職していた私は50歳台半ばに至って3回目の転職を迫られると同時に、自らの老後を自らの意思で切り拓く必要がありました。そのときの選択のポイントは「いくつになってもできる仕事」でした。魅力的に写ったのが「日本語教師」だったのです。
資格を取るために1年間の日本語教師養成講座に通う最中、私は日本語の底知れぬ魅力に取り付かれると共に、単に教師業をするのではなく、自分のこれまでの社会経験や企業経験を生かして、日本語教育界の下支えができる仕事はないかと考え、日本語教育専門の出版社兼書店に応募し採用されました。
こうして日本語教育の世界に入って一番驚いたことは、後から考えれば当然なのですが、学習者としての外国人は社会的対応能力や知的レベルは年齢相応の「おとな」であり、単に日本語能力に劣るだけだということでした。
さて、それではどのように彼らとコミュニケーションを取り、また指導していけばよいのでしょうか。彼らに何をどう伝えればよいのでしょうか。はたして伝わるのでしょうか。
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【しのださんぺい】 1947年生まれ。帝人にて宣伝・マーケティングを長く担当。40歳で転職。50代半ば日本語教師養成講座修了。日本語教材の凡人社に2009年12月末まで勤務。この間60歳で明治座アカデミーの俳優養成コース受講、09年11月修了。現在、明治座アートクリエイト登録俳優。本名、鈴木信之。ザ 日本語教師――十人十色「書店を拠点に日本語教育ネットワークを」