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りらいぶジャーナル

りらいぶインタビュー【豊かに生きる】

社会があなたを待っている
東京スピーカーズクラブ 児玉 進 さん

 退職後をどう生きるか、なかなか目標の定まらない人が多い。しかしその一方で、いち早く道筋を見出し、有意義で豊かに生きる人もいる。その違いはいったい何なのか。また、どんな生き方をしているのか。R&I設立記念フォーラムでの基調講演に先立ち、東京スピーカーズクラブ代表の児玉進さんに話を聞いた。

《聞き手:NPO法人リタイアメント情報センター理事長 木村 滋》

木村 私どもは「りらいぶ」という理念のもと、シニアの支援プロジェクトを立ち上げ、生きがいさがし世代の救世主になるべく活動中ですが、児玉さんの長年のご経験から、今のリタイア世代の現状をどうご覧になっていますか。


児玉 私は退職してすでに15年になりますが、第二の人生についてみなさまによく申し上げるのが「社会があなたを待っている」というフレーズです。一般的には「退職したら後は余生だ」「年金で悠々自適だ」という方が多いんです。でも違います。実は60歳からが「ゴールデンエイジ」なんですよ。現に私が親しくしている方のなかには、現役時代よりも生き生きとして働いている方が本当にたくさんいます。


木村 それは素晴らしいことです。通常は肩書きをどう捨てるか、過去との決別をどうするかで悩むケースが多いと思います。でも、そういう生き生きした方々はどのように生きがいを見つけているんですか。

児玉 具体例を言うと、ある元小学校校長は定年退職と同時に芸能プロダクションのオーディションを受け、タレントになりました。彼は現役時代から芸能活動をしたいという夢があったんですね。某金属会社のOBはリストラされて転職したことを逆手に取って、リストラ評論家として活躍しています。元パイロットが航空事故評論家に、百貨店の元秘書室長が流通評論家に、というケースは自然の成り行きかもしれませんが、乳業会社の元工場長が営業経験を生かして「がまの油売り」の口上を武器に老人ホームなどを慰問している例などはユニークですね。

現役時代に新しい”肩書き“を創る

木村 なるほど、人さまざまですね。ただ、今の時代、そうした方々ばかりではないように思えます。多くはご自分の道筋がわからないんですね。そうなると、そうした成功例と何が違うのでしょうか。

児玉 まず、上手くいかない人は昔の栄華が忘れられない。つまり、会社や組織という金看板があってご自分が存在したのに、それを実力と勘違いしているんです。身の処し方がわかっていないんですね。反対に成功者はおおむね腰が低い。接客業のつもりで人当たりもいい。私に言わせれば、肩書きなんてものは自分で創ればいいんです。

木村 この場合の「肩書き」とは、昔の栄華を引きずるのではなく、新たなる情報発信のツールとして、という意味ですね。

児玉 おっしゃる通りです。肩書きは自分で創れます。何でもいいんですよ。

木村 最後になりますが、具体的なアドバイスをお願いします。

児玉 まず大事なことは、リタイアして何か新しいことをやるにはすべて自分で行うという覚悟を持つべきです。そのためには、リタイア後の進路はリタイア間際に決めるようではだめです。私の場合はその10年前ぐらいから準備していましたよ。だから、現役中に編集畑から営業職への配置転換を願い出たほどです。つまり、第二の人生を成功させようとするならば、事前の準備が重要なんです。

木村 わかりました。ありがとうございました。

●こだますすむ
1933年生まれ。朝日新聞経済記者、雑誌編集者、新規事業開発者として活躍。定年退職後の93年11月、マスコミOBら30人を集め、出版社に適材を紹介するシステムを築き、東京ライターズバンクを設立した。「大学教授から風俗作家までテ-マ別」を看板に、あらゆる分野の専門家や論客(5260人)をそろえる。そのほか講演講師の集団「東京スピーカーズクラブ」(952人)、シニアタレントなどを集める「アマチュア・アーティスト・クラブ」(40人)、ラジオ日本とタイアップして貴重な人材を紹介する「プラチナ人材情報」を運営する出版・マスコミ界の黒子。

●きむらしげる
NPO法人リタイアメント情報センター理事長。学習院大学卒業後、オリベッティなどを経て日本のITベンチャーの草分けであるCSKに入社。CSKと日本IBMの合弁企業、ジェー・アイ・イー・シーの社長、会長を歴任。2004年に退任し、07年から当職に。