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りらいぶジャーナル

教師仲間でつながり不安払拭

●福田 博さん

 インターカルト日本語学校の日本語教師養成講座修了生で、中国で教壇に立っている仲間や中国に関心のある人たちが集まる「老酒会」がある。普段はメーリングリストで情報交換しているが、年に数回、みなが帰国した際に飲み会を開く。

 そもそも会を立ち上げたのは、福田博さん(64)が初めて赴任した中国・山東省曲阜市で、「情報がまったくない不安」に駆られたことがきっかけだった。「仲間がほしい」とインターカルトに連絡したら、さっそくメールを介して2人が手を挙げてくれた。いまでは10数名が参加して、教育のことや近況などを交換し合っている。

 曲阜は孔子の生地として有名だ。だが、福田さんにとっては未知の街。まして現地入りする数日前まで、退職前の会社でいつもと変わらぬ仕事をしていたのだ。さらに当日、飛行機が遅れたため到着は真夜中になった。迎えに来た日本人はいたのだが、周りの景色はまったくわからないまま大学の宿舎に入った。

「到着した日は自分がどこにいるのかさえわからず、いったい何をしているんだろうという思いが湧き上がってきました。もう笑うしかなかったですね。期待半分、不安半分と言いたいところですが、実際は不安7割でしたよ」
 翌朝目覚めて初めて、異国の地に足を踏み入れたことを実感したという。

 赴任先では、まず初心者クラスで会話の授業を受け持った。最初の授業前には自室で授業の予行練習までした。
「とにかく初めの3カ月間は授業をこなすことで精一杯でした。ただ、一生懸命準備して授業すれば、学生にもそれが伝わりますね。『いい先生だ』と言われたときには励みになります」

 会話は時間との勝負。限られた時間でどれだけのことができるか、さらに学生自身が積極的に取り組むよう仕向けていかなければならない。

 やがて福田さんに余裕ができると、学生を食事に誘うようになった。「できるだけ学生と話をしたい。学習に積極的になる学生もいますから」

 曲阜に1年務め、次に紹介を受けて出向いたのが河南省洛陽市。河南科技大学では3・4年生を受け持ち、「精読」「閲読」「貿易会話」「ビジネス文書」「日本文化」を担当していた。
「ここで会社に勤めていたときのことが役立ちました。物流関係の仕事が長かったため、貿易の知識が役立っています。それと日本の企業での仕事の仕方を教えています」

 中国の生活にも慣れ、「新鮮さがなくなった」というが、よい意味で生活が日常になった。
「これからは生活そのものを楽しみたいですね。一昨年、鄭州日本人会で出会った方には、その方の企業に就職活動のチャンスをいただいて教え子が採用されました。また洛陽の古い街で日本研究をしているグループに呼ばれて、知り合いが増えました。大学の外に出会いのチャンスが広がっていくことに希望が持てます。これは旅行ではなく、生活しているからこそ、できることです」

 さらに授業にも変化を付けた。多くの学生が会話できるようディベートを取り入れたり、日本語能力検定試験の前には補習授業をしたりと手を施してきたいという。昨年9月に山東外国職業学院に移ったが、今後もこの種の活動をしたいという。

 3年前、不安な旅立ちを経験した福田さんだが、いまでは「チャンスがあったら飛び込め」と力強く言える。
「定年後に何をすれば一番いいのかなんて、考えてもわかりません。いいと思ったら実行することです。だめだったらやめればいい。海外に出るにも、心配ばかりしていたら何もできない」
 福田さんは一人ではない、手を伸ばせば届くところにいくつもの手がある。それを築いてきたからこそ、今の生活を楽しみ、また未来に希望を持てるのだ。
(2010.01.14)

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