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りらいぶジャーナル

鹿児島のドクター誕生秘話

<おもちゃ病院あっちこっち>
嶋田弘史(日本おもちゃ病院協会会長)

 日本全国津々浦々「日本おもちゃ病院協会会員ドクター」は散在している。しかし2008年当時、鹿児島県には残念ながらただの一人もいなかった。
 そんな折、『ねんりんピック鹿児島2008』に協賛し、会期中におもちゃ病院が開かれることとなった。そこでやむなく隣の宮崎県ドクターに応援を頼み、鹿児島会場で3日間、おもちゃ病院を開催した。そこに連日様子をうかがいにやって来る一人の男性の姿があった。

 決して怪しげではない。むしろ品のよさそうな雰囲気をかもし出している。初日はただ黙って作業を見ているだけだったので気にも止めなかったが、2日目、今度は「どこから来たの」「なんで、そんなことをしているの」といろいろ質問を浴びせてきた。さらに「なぜ関東の人間が鹿児島まで来たんだね」と聞くので、私はこう答えた。

「関東人は鹿児島県人を明治以来進取の気性を持った人として厚く尊敬している。東北人だって同じだ。仙台に行けばそのことがわかる。西南の役で志半ばに戦没した西郷党薩摩藩士の忠霊塔が伊達家の廟所の敷地内にあり、これは仙台の人によって建立されたもの。それほど鹿児島県人を尊敬している。それなのに、いまなぜ――」と私は続けた。「鹿児島におもちゃ病院が一つもない、ドクターが一人もいないというのは残念だ」

 翌日、その男は別の2人を連れてやって来た。「昨日私に話したことをもう一度この2人に聞かせてくれないか」。すると連れの男は「この男か、鹿児島を馬鹿にしたのは」。

 実は昨日もやって来ていた男性は県の教育長だったのだ。教育長いわく「鹿児島におもちゃ病院を開く。直ちにその準備をしなさい」

 現在、鹿児島県では鹿児島市、霧島市、鹿屋市において60名のおもちゃドクターが活躍している。
(2009.10.20)
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