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「骨盤おこし」で身体が目覚める 一日3分、驚異の「割り」メソッド
りらいぶジャーナル
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長期戦だった今はなき南回り欧州線■回想~フライトに捧げた40年 -石川真澄- 1960年代から80年代後半にかけて、南回り欧州線が存在していたのをご記憶でしょうか。今では機体の性能アップでニューヨークまでも直行便がありますが、南回り便はDC-8型機だったため各地で給油しながら飛行。しかし、この離着陸のくり返しと北回りに比べて運賃が割安だったせいか、当時は結構根強いファンがいたのです。 飛行ル-トは東京、香港、バンコク、ニューデリーまたはボンベイ、カラチまたはテヘラン、ベイルート、アテネ、ローマ、パリまたはロンドンで、私たちクルーはこの行程を約2週間かけて乗務。なぜそんなにかかるかといえば、まず東京から乗るとバンコクで降り、次便が来るまで2、3泊待機。その後はテヘランかカラチで次便まで3、4泊。この順番でアテネ、ローマ、そして最終地で宿泊待機というローテーションが組まれていたからです。もちろん帰路はこのルートを逆に東京まで行きます。結局、日本を出て帰国するまで乗務パターンによっては3週間近くの長旅になることもありました。 各地で途中下車し、観光できてうらやましがられそうですが、治安の関係で単独の外出を許されない地や日焼け厳禁など厳しい制約もありました。でも自費では泊まれない高級ホテルのプールサイドでくつろいだり、中東の日本人クラブから招待を受けて和食をご馳走になったりの役得も。 キャビンクルーは男女3名ずつの構成が通常でしたが、社内ロマンスに発展するのもこの南回り乗務とささやかれていました。反対に仲の悪いクルー同士で編成されると、長期戦だけにこれは悲惨でした。 さまざまの経験をさせてもらったルートですが、73年後半には第4次中東戦争を機に石油危機が勃発し、日本航空も燃料不足でこの南回りがローマ折り返しになることを余儀なくされました。何度もフライトしたこの路線で一つだけ残念に思うのは、すべてが夜間の離着陸だったため、上空からの景色を知らないこと。オレンジ色の石油の炎は印象に残っていますが、広大な砂漠やペルシャ湾はついぞ目にすることはありませんでした。 ●バックナンバー
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