Skip navigation.
りらいぶジャーナル

日本語教師は自分探しの道

未知の世界で新しい人生を発掘する

 「37年間信用金庫に勤めていましたが、朝5時半に家を出て帰宅は夜9時、10時。いわゆる仕事人間でした。でも、このままではよくない、一旦自分自身を見つめ直したい、別な人生を送りたい」――。

 荘司基晴さん(60)はそんな思いを胸に日本語教師の世界に飛び込んだ。再就職の道もあったが、「これからの人生、金だけではない」と振り切った。「今まではお金を媒体として人々に喜ばれつつ、片方で嫌われるという厳しい仕事だった。そこにどっぷり浸かるのはそろそろやめよう」とあえて新しい道を選んだ。荘司さんの職場に、退職後ネパールで日本語教師を務めている先輩の姿があったことも進路を決めたきっかけとして大きい。

 昨夏、荘司さんは東京中央日本語学院の日本語教師養成講座に入学した。
 「初めはやさしいと誤解していたが、実に奥が深い」と日本語を見直す。「普段使っている日本語を吟味しなくてはいけない。一つひとつの言葉を丁寧に、正しい日本語を教えなければならない。そのためには自分のなかで咀嚼(そしゃく)しなければならない、その難しさを今感じています」

 荘司さんはまた日本語教師を「人を好きでなければできない仕事」と解釈する。そして、歴史をよく勉強することも重要だと主張する。「相手の国のことをよく知らないといけない。一方、相手には日本を正しく理解してほしいと思いますからね」
 苦しいことばかりではない。同校の課外授業の一つ、温泉旅行にも参加した。日本語クラスに通う外国人学生と日常を離れた場で触れ合うことで、知り合いも増えた。
 6月中には講座を卒業する。日本語教育能力検定試験にも挑戦するつもりだという。さらに、学生時代に中国留学で中国語を学習したことから、知人が大学教員として働いているという台湾に滞在する計画も立てている。「ボランティアで日本語を教えてもいいし、ほかに自分に何ができるのか、試してみたい。自分探しの道だと思って行って来ます」
 不安はまったくないといったらウソになる。でも、一からのスタートに不安はつきもの、「やれるだけやってみよう」、そんな心境を明かす。「できれば退職する2、3年前にはその後の生き方について勉強したほうがいい。早く自分のポジションを決めないと、家族に迷惑をかける。私の場合は妻も賛成してくれましたが、家族とよく相談したほうがいいですね」
 荘司さんは「日本語だけを教える教師ではなく、日本とは、日本人とは、歴史や習慣、生活すべてを教えることのできる教師」をめざし、新たな航海に出る。
(2009.6.15)