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りらいぶジャーナル

シニアの健康、秘訣は心の豊かさと運動の習慣

YSフィットネスクラブ呉服町
釼持範勇さん

 静岡市のYSフィットネスクラブ呉服町でインストラクターを務める釼持範勇さんは異色の経歴を持つ。高校卒業後、運動指導者をめざして専門学校に入学、インストラクターとしてスイミングスクールに勤めるが、2年ほどして芸能界入りした。25歳までの4年間、東京でタレント活動に励んだ。さらにインターネット上で音楽デビューも果たした。ところが今度は介護士になり、高齢者施設で働く。そして昨年またフィットネス業界に戻ってきた。

 いったい彼には何があったのだろう。

 中学・高校時代は100mの陸上選手だったそうだ。しかし、そこで後輩の面倒を見るうち、「先生や先輩から教わったことを自分なりに工夫して試して、今度は後輩たちに指導していくと、目に見えるように成長していく姿が楽しかった」と語る。教えることの楽しみを味わったのだ。

 そこで、地元の専門学校で運動指導者としての技術を身に付けることになる。授業科目には当然ながら水泳もあった。ところが、「水泳は大嫌いだったんです」。でも、やらざるを得ない。ただ単位を取るだけのために泳いだ。「だから、泳げない人の気持ちがよくわかる」と釼持さんは言う。


「最初は全然楽しくありませんでした。でも、子どもたちに水泳を指導する研修で、楽しいと思ったんです」
 やはり、成長する姿を見ることに喜びを感じたのだ。そんな釼持さんの指導っぷりが現YSフィットネスクラブ呉服町の橋本和幸CEOに評価され、スイミングスクールで子どもの指導に当たった。

●タレント、介護士を経験、人生の幅広く
どんな悩みでも解決する自信に

 そこで転機が訪れる。子どもたちと夏のキャンプに行ったときのこと、キャンプファイヤーで釼持さんはギター片手に歌った。それが予想以上に好評だったという。
「実は、高校のときアコースティックギターをやっていました。人に音楽を聞かせるのが好きだったんです」

 悩んでいる人に声をかけても、言葉だけではなかなか伝わらないが、歌なら伝わるという実感があったことから、「音楽で一肌挙げたい」という思いが募り、とうとうスイミングスクールを辞めて東京の芸能プロダクションに所属してしまった。そこで4年間、テレビ番組やCMに出演するなどタレント活動に精を出した。その間に音楽事務所にも所属し、ウェブ上でミュージシャンとしてもデビューした。

 ただ、親とは「25歳になったら就職する」という約束をしていた。その期限が迫ってきたころ、介護という現場を知った。所属先の音楽事務所では福祉施設でのボランティア活動を推奨していたため、彼も施設で歌うことがあった。

「音楽で患者さんたちのようすが明るくなっていくことはよかったのですが、介護士が疲れ切っていることをすごく感じたんです。確かに大変な仕事だということは見ていてわかります。でも、本当の辛さは自分もやってみなければわからないだろうと思いました」

 そこで、25歳を機にホームヘルパー2級を取得、今度は介護施設に就職したのだ。
「思った以上に大変な仕事でした。これから介護する人に光を当てることが必要だと思います。介護現場での経験は人と接するということにおいて、幅を広げてくれました」

 そして3年後、再びインストラクターとして働くことになった。施設を利用するためのカウンセリング、トレーニング指導、自宅でできるトレーニングのアドバイスなど行い、一人ひとりのメニュー全体を把握している。
「これまでの経験から、どんな悩みでも解決の糸口を見つけてやろうという気持ちが強くなりましたね」

 現在、同クラブに通う人たちは肉体改造はもちろんだが、精神的ストレスを抱えているケースが多いそうだ。そうした人たちのストレスをどう発散させるか、心のケアを視野に入れた指導を心がけていると言う。

 シニアが健康を保つために、何が必要か、釼持さんは「心の豊かさ、余裕だ」と主張する。「内面を豊かにし、運動を習慣化すること。そのためには誰かを支え、誰かに支えられるという関係のできる場が必要です。フィットネスクラブはそういう場になるのではないでしょうか」
 心身ともに健康を保つには、自発的にそういう場を作ることが大事なのだ。
(2009.03.20)