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りらいぶジャーナル

フェリーチェ・アンノ・ヌオヴォ(新年おめでとう)

■わが心の故郷イタリア -笠ひろし-
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 世界各国の正月の過ごし方は風俗、習慣、文化の違いによって様々である。私が8年間過ごしたイタリアでは日本とは異なって宗教的な意味合いが強く、12月のクリスマスが国民にとっての楽しみな行事といえる。日本でも正月前のクリスマスは妻帯者、独身者を問わず、プレゼントの交換や愛情を再確認する一大イベントになってきている。

 イタリアで印象に残っている正月といえば、まず赴任直後のことが思い出される。前日の31日は午前中まで勤務して下宿に戻ったところ、大手商社の幹部から「正月はどうするのですか」という電話が入った。その方は家族4人でフィレンツェに行くのでどうか、という誘いだった。私は特に何も考えていなかったので即座にOKして、翌朝ミラノ中央駅へ向かった。

 歴史と芸術で世界的に知られるフィレンツェの印象は文章に表現できぬほどの感銘を受けた。また、帰路の列車がミラノ到着の寸前で大雪のため2時間以上遅れて帰宅したことも鮮明に記憶している。気温は零下18度で、何十年ぶりかの異常気象とのことだった。

1972年、松下電器(当時)がスポンサーになり、ミラノ・サンシロ競馬場で戦後初のギャロップ競技が行われ、優勝騎手に賞品を授与する著者(左端)

 もうひとつの体験は大晦日のカウントダウンであった。日本大使館の副領事に自宅に招待されたときのこと。奥さんはイタリア人で、招待客のなかで唯一外国人は私だけ。あとで奥さんから、イタリア人だけでは話題も限られ、得意分野で活躍している人間がいるとその人に話が集中し、雰囲気が壊れ、場が白けるので、イタリアで生活している日本人のなかで私が選ばれたと聞かされた。

 パーティは赤ワインを片手に会話が弾み、4時間以上も続き、時間が経つのを忘れるほどだったが、真夜中近くになって奥さんが皿をたくさん抱えてきたので何事かと思っていたら、教会の鐘が鳴り出した。すると他の客が皿を窓から放り投げ始めたではないか。一年の総決算をして新しいスタートを切るという思いを込めたこの風習はイタリアならではのものだった。むろん私も一緒になって皿を投げ捨てた。

 余談になるが、元旦の朝には市の清掃員があちらこちらに散乱した皿の欠片を綺麗に片付けていったのは驚きであった。ちなみに、皿はジノリやウェッジウッドではなかったことを付記しておく。念のため。この風習は今でも続いているのだろうか。

●バックナンバー
<2> トラットリア・ロキシー
<1> ボナセラ、シニョール!

【りゅうひろし】企業コンサルタント。エッセイスト。大手電器メーカーに入社し、1960~70年代の欧州市場開拓の先駆者となる。徹底した現場主義を貫き、イタリア中心にポルトガル、スペインの販路開拓と現地法人立ち上げの協力体制づくりには定評がある。