Skip navigation.
りらいぶジャーナル

「明るく楽しく元気よく」で教師デビュー

●遠山憲二さん

 今年4月、都内の日本語学校で日本語教師としてデビューする遠山憲二さん(62)。1月にヒューマンアカデミー日本語教師養成講座を修了したばかりだが、「とにかく早く現場に立ちたい」と職場を決めた。中級前半レベルのミャンマー人、中国人らの学生を受け持つ予定だ。彼らの卒業後の進路希望は日本の大学への留学、日系企業への就職などさまざまだ。「日本語を通じて、日本はいい国なんだということを伝えたいですね」

 遠山さんの教育モットーは「明るく楽しく元気よく」だ。「教室全体が1チームなんだという意識でいます。教える側、教わる側ということではなく、私も勉強したい、自分自身も成長したいと思います。ですから、早く個々の人間を自分のなかに取り込んでいく力を身に付けたいですね」と意欲を見せる。

 実習中にも行ったけん玉もけいこ中だ。「若者のファッションやアニメなどの情報も取り入れなくては」とアンテナを張る。

 遠山さんは外資系のコンピューターメーカーに勤めていた。会社では55歳になると退職後の生き方を考えるためのプログラムが用意されていたそうだ。「趣味の世界もいいけど、何か知的なことをしたい」と考えたという。

 退職間際に中国・大連に駐在したときのこと。「ここで困ったことがありました。中国語ができないので楽しく生活できないんです。生活者としての外国人を初めて経験しました」。さらにそこにはたまたま会社のOBが日本語教師として赴任していた。そのOBに「退職したら、おいで」といわれたことで、日本語教師に興味を持ったという。

 そして2008年9月に退職、翌月には養成講座の授業を受けていた。
「日本語のわからない外国人には使える言葉が限られます。どうすればいいのやら、正直戸惑いました」。実習では講師から「生徒から、『先生を代えてくれ』といわれますよ」と厳しい指摘を受けたことも。「でも、もともと日本語が好きだし、体系的に学べたことがよかった。ただ、繰り返し勉強しないと覚えられないのには苦労しましたけどね」と苦笑する。

 遠山さんは神奈川県川崎市に住んでいるが、地元の日本語教師ボランティアにも登録した。40名ほどのメンバーはみな420時間を修了するなどプロばかりだ。
「親の都合で来日し、生活している子どもたちのことが気がかりです。日本語ができないために学校の授業についていけない、進学できない、就職できないという問題がある。これは子どもの問題だけでなく、その親と学校と行政と一緒に取り組まなければならないと思います。そのために我々現場の教師ががんばらなくては」
 遠山さんが迎える春はすでに熱い。
(2010.03.12)

★バックナンバー⇒こちら