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りらいぶジャーナル

日本人の内なる国際化が重要に

●若山裕司さん

 若山裕司さん(65)は中国、韓国、モンゴル、フィリピンなどからの外国人生徒・学生に、大学受験の日本語や高校受験の数学などを教える。そのため自分でも受験問題に取り組む。面接の指導も手伝っている。「限られた授業時間内にどれだけのことを教えられるか。準備に倍の時間がかかりますし、どこかで面白いことの一つも言わないと生徒が飽きる。でも教えることの責任感と同時に楽しさも味わっています」

 若山さんは退職後、朝日カルチャーセンター日本語教師養成講座に通った。多くの外国人が日本に住んでいることは自分の地元を見ても明らか。ならばこれまでのサラリーマン生活とはまったく違う生き方をしようと、日本語教師への道を歩んだ。

 ただ動機はそれだけではない。

 58歳から、勤務先の関係でボーイスカウト日本連盟の事務局に赴き3年ほど仕事をした。ボーイスカウトでは国際的な野外キャンプ大会「ジャンボリー」が行われるが、アジア各国から1万人超の青年たちが集まるタイでのジャンボリーに若山さんが訪れたときのこと。日本からの参加者は中高生らたった200人程だった。そこでの彼らのあわれな姿に驚く。

「臨時の野営診療所の限られたベッドを日本人が半分近く占領していたんですよ」
 下痢や発熱、倦怠感、ホームシックで倒れてしまっていたのだ。日本では若者の学力低下が問題視されているが、同時に弱くなった精神力、体力低下の現実を目の当たりにした。「これでは国際社会で出遅れるはずだ」――。若山さんは日本の将来に暗たんたる思いを抱いたという。

 同時に、エネルギーあふれるアジアの若者を見て、彼らの力を日本の理解者として、また戦力として活用できないかと考えた。

 そして養成講座修了後、外国人の若者教育に熱心に取り組む王慧槿氏が代表を務める「多文化共生センター東京」で2009年9月から働き始めた。同センターではフリースクールを運営しており、若山さんもそこで受験生たちの面倒を見ることにしたのだ。また10月には横浜の日本語学校で留学生向けの上級クラスも受け持つようになった。

「私の住んでいる横浜市にも外国人がたくさんいます。昔は外国人と聞くと青い目のガイジンさんというイメージでしたが、近年ではアジアからの人が中心で、中南米の日系移民の子孫たちも大勢います。外国人のなかには、日本は金持ちだからうまく利用すれば自分たちの国に道路や病院をつくってくれる、という単に利用意識の人もいる。一方で日本人は西欧人に劣等感を持ち、アジア人には優越感を持つ。

 でも国際社会のなかで生きる日本は、お互い一緒に勉強しながら彼らと同化していくことが大事じゃないかと思うのです。そういう問題意識を持って教育に取り組みたい。生徒たちを日本の社会にどう送り出すか自分なりに考え、彼らには日本に来てよかったと思わせてあげたい」

 この仕事にあまり儲けはない、でも重要な仕事だと認識しているという。
 しかし、日本に憧れを持ってやって来る外国人を前に、若山さんの顔色は冴えない。

「私も若いときにアメリカに憧れて渡米しました。そこにはそれなりの内容がありました。でも、経済力が落ち、政治的リーダーシップもフラフラしているいまの日本に、彼らに教えるべき内容があるのだろうか。特にこれから日本に若い人のリーダーシップがなければ、さらに地盤沈下していくことが確実で心配です。政府や行政の外国人対応が遅れていることも問題。だからこそ、いま新しい何かをつくりだすことが必要なのではないでしょうか」

 時間があれば歴史関連の本をひも解くようになった。日本という国家は本当にどう形成されたのか、近隣諸国とどんな関係があったのか、教科書に書かれていない事実は多い。歴史の諸説に学びながらこれからの日本を、また外国人との付き合い方を考える。これも楽しみの一つだという。

 さらに、日本語教師同士の情報交換の場が必要だと主張する。
「講座を修了すれば少しバラ色の世界が広がるように思っていました。でも現実は厳しい。私はたまたま仕事がすぐにありましたが、そうでない人のほうが多い。仕事のこと、外国人教育のこと、そして将来の日本のことを意見交換したり、ときに行政に対して日本語教育や外国人との共生など国策について提言したりする場が必要だと思います」

 そんな若山さんは会社勤めをしながらも、常に組織を離れて一人になったらどうするかを考えてきた。
「定年と聞いても、不思議と自分のこととは考えない人が多い。自分は何で生きていくのか、何かのプロ意識を持たないと個人としての自覚がなくなる。会社が何かしてくれるというのは幻想ですよ」
 自立せよ、と若山さんは同世代に呼びかけている。
(2010.02.17)

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