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りらいぶジャーナル

「武士道交渉術」で“玄冬”を生きよう

――人生は交渉の歴史。日本文化から交渉を考える
立命館大学大学院教授 麻殖生健治さん

 人は生きている限り、交渉し続ける。そもそも交渉とは何なのか、そして退職後に自分を生かす交渉とは何か。経営大学院で交渉(ネゴシエーション)を専門とする麻殖生健治氏に聞いた。

 交渉(ネゴシエーション)は人生に欠かせないものです。すでに人に接することから交渉は始まっています。人は一人で生きていくわけではなく、あらゆるところで人間関係を築いていきます。それが交渉です。大げさにいうと人生とは交渉の積み重ね、交渉の歴史です。人生の節目に必ず交渉があります。人間の誕生は両親の交渉に始まり進学、就職、結婚、子育てなど、その都度人は交渉せざるを得ないのです。

 退職後に新たな活動を起こすときも交渉が必須です。それは会社で仕事をしているときは仕事の交渉、退職したら個人的な交渉ということではありません。よく「交渉術」ととらえられることが多いのですが、交渉とはテクニックではありません。

 交渉には2つのプロセスがあります。ひとつはコミュニケーション、もうひとつは意思決定です。この2つが合わさらないと交渉とはいえません。ですから誰かに何かを伝えることは一人でもできますが、伝えたことについて相手とコミュニケーションを取り、最終的にどうするかという両者の意思決定があって初めて交渉なのです。

 よく日本人は外国人に比べて交渉に弱いといわれます。「いや、大阪のオバチャンは交渉に強いよ」などといわれますが、それはほんの一部のこと。総じて弱いのです。

 ではこの交渉に強い・弱いとはどういうことでしょうか。

 外国人との交渉は「勝ち負け」です。敵に勝たないといけない。特にアメリカや中国ではそうですね。私の研究室には中国からの留学生もいますが、やはりじゃんけんで勝負しているような感じです。そこが日本人には弱いといわれています。いわば交渉とは欧米的な物事の考え方といえます。

 一方、日本では談判あるいは談合などという言葉があり、それが実際の交渉の現場で行われています。そこで日本人には日本人の交渉の仕方があるのではないかと私は考え、勝たなくてもいい、でも負けない、双方が満足する方法、つまりウィンウィンの関係になる交渉があるのではないかと、数ある日本の古典から読み解いてみました。すると、武士の生き方にこそ日本人の交渉の概念が表わされていたのです。私はこれを「武士道交渉術」と名付けました。

 交渉はPDS、つまり「PLAN(準備)」「DO(実施)」「SEE(評価)」を意識することが大事です。これを「武士道交渉術」に当てはめると、Pは相手の立場に立って物事を考え、相手の喜びを自分の幸せとすること。Dは相手に先手を打ってもらい、聞き上手になること。Sは誠実で信頼されるようフェアプレイで臨むこと。このことは自著『ビジネス・ネゴシエーション入門』(中央経済社)に詳しく書きましたが、そのサブタイトルを「『聞き上手』な日本的交渉術」としました。要するに宮本武蔵も『五輪書』でいうように、自分から相手に先に切りかかっていくのは未熟者、相手から攻めさせ、かつ自分は切られないよう太刀筋を読め、ということです。合気道など日本の武道をみても、相手の攻撃があってその対応が始まります。

 このように日本人の交渉の仕方が特異的であることは、異文化と触れ合ったときに顕著です。ですから海外に滞在したり外国人と交流したりするとき、相手の文化を知ることが重要になってくるのです。ただし、それは相手に対して自分をへつらってみたり、逆に優位に立ったりするのではなく、まったく別のものとして存在するという認識でコミュニケートすることが大事です。例えば欧米人の意識は聖書にあるように「初めに言葉ありき」ですから、必死に話をしないと相手はわからないのです。

 交渉という点で日本人を考えてきましたが、さらに日本文化への理解を深めていくことが退職後の生き方、そして交渉をよりよいものにしてくれます。

 古代中国の思想では人生の節目を四季になぞらえ、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と呼びます。みなさんのいまは「玄冬」に当たります。この時期こそ、茶道、花道、書道、俳句、禅、合気道といった日本の文化に触れ、そこに秘められた簡素なる美、日本的交渉術である受身の文化を感じ取られてはいかがでしょうか。新たに何かを始めるもよし、ただ自分を見つめ、淡々とそれを続けていく生き方は若いときの青春とは異なり、今度は生き方の「玄人」になるということなのです。

 さらに玄冬の役割は駅伝のように祖先から渡された営みについて次世代に「たすき」を渡すこと。つまり継承していくことです。それを子や孫だけでなく、世界に発信していく努力が課題だと思います。例えば日本企業の真の強さは欧米のように規模が大きくなることではなく、細くとも長く継続していくことにあるといえないでしょうか。

まいおけんじ●1941年大阪府生まれ。東京大学経済学部卒業後、スイス国際経営開発研究所(IMD)のMBA取得。住友金属工業にて経営企画、海外事業業務などを担当、同社半導体事業部長から半導体装置製造販売のマトソンテクノロジージャパン代表取締役社長に転身。現在、立命館大学大学院経営管理研究科教授。専門は国際経営、異文化マネジメント、ネゴシエーション。および再就職支援会社チャレンジャー・グレイ・クリスマス株式会社経営顧問、立命館アジア太平洋大学客員教授を兼任。主著に『日米ビジネスネゴのホンネ』(学生社)、『ビジネスネゴシエーション入門』(中央経済社)など。
(2010.02.12)