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りらいぶジャーナル

ビジネス日本語 研修事業にチャレンジ

日本語教育の実績、新たな形を創造
ビジネス日本語ソリューションズ

 自分たちの経験をもとに、外国人ビジネスパーソンを対象とした日本語研修を提供する会社を立ち上げた2人の女性がいる。もともと同じ大学のESS部員で、さらに退職前の職場が同じだったことから、これまでできなかったことを実現しようと起業した。ビジネス日本語ソリューションズ(BNS)の綿引眞知子さんと山田和美さん(写真右)だ。

 大学卒業後はそれぞれ2人とも別の人生を歩んでいたが、綿引さんが最初で最後の会社員生活を送っていたJALアカデミーに山田さんが入社、再会することとなる。綿引さんは1995年から同社で外国人ビジネスパーソンへの日本語研修のほかマネジメントを行っていた。そこに夫の赴任先から帰国した山田さんが研修スタッフとして加わることになった。

 綿引さんは日本語教育に携わってこれまで25年のキャリアを持つ。子どもの幼稚園で一緒だった日系ハワイ人との出会いで外国人ビジネスパーソンに日本語を教えたことに始まり、以降フリーで教えていたという。「ただ、夜中までかかって教案作り、授業では鋭い質問を浴びるという毎日。仕事を始めて8年経って、日本語教育能力検定合格を目指そうとラボ日本語教育研究所の講座を受講しました」

 修了後は東京女子大学大学院で上野田鶴子教授の指導を受け、念願の検定にも合格、そしてJALアカデミーを紹介された。「いま考えれば、検定に向けて養成講座を修了し、さらに大学院で深めようと考え実行したことがその先のドアを開いていったことになると思います」

 一方、山田さんは大学卒業後すぐに結婚、夫の仕事の関係で3人の娘と共にロンドン、パリ、ルクセンブルグ、そしてロンドンと渡り歩くことになった。ところが困ったのが子どもたちの日本語だ。「英語やフランス語を勉強するうえに母国の日本語までとはいえませんでした。でも子どもたちの日本語は危機的状況だったのです」

 転機はルクセンブルグに滞在中のこと。当時、現地のチャリティーバザーの運営委員長を務めることになった山田さんは積極的に日本文化紹介などの事業を年間を通じて企画・運営し、成功を収めていた。それを知ったと思われる現地ただ一人の日本語教師から、「日本語教師を継いでほしい」と再三にわたって頼まれたという。その学校では日系企業に勤める社会人らが学んでいた。当初は経験もなかったため断っていたが、子どもたちに自分の教師の姿を見せることが必要かもしれないと引き受けたという。「まずは朝から晩まで一日中授業についてすべてノートに付けました。それで初級から中級の上くらいまでの段階を経験できたのです」

 その後ロンドンに移り、アメリカンスクールでも教えることになるのだが、「まともに教師の勉強をせずに教えていていいのか」と思い、英国国際教育研究所が立ち上げたばかりの教師養成講座を受講した。その後もエセックス大学大学院やパブリック・スクールで教壇に立ち、帰国してJALアカデミーに勤務する綿引さんと職場を共にする。

「ここで定年まで勤め上げたことが自信になりました」と綿引さんの言葉に力がこもる。BNSではビジネス日本語のパーソナルレッスンを行う。またその家族向けに研修を行ったり、日本文化研修なども企画していく。

「私は来日する外国人と逆の立場で海外生活が長かった。ビジネスだけでなく、生活や文化面でも満足が得られるように支援したい」と山田さんは話す。

 そうした事業内容に応えられる日本語教師も確保した。綿引さんは教師に対し、「学習者がビジネス上必要としている日本語をきちんと教えられること。ただ、何よりも学習者に愛があるかどうかです。学習者の立場を理解して教案作成することが必要です」と注文をつけている。
(2010.01.29)