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りらいぶジャーナル

おにぎりも俳句も教材に

4年の実績、ノウハウと自信につながる
●石川 潔さん

 石川潔さん(64)は大学を卒業後、勤めていた出版社を辞めて独立、編集プロダクションを立ち上げた。そこで日本語辞典の編集に携わったことがあったという。「原稿を読んでみると従来の国語辞典とは違う。よく読むと、外国人が日本語を勉強するときに現代日本語の文法がわかる辞典だったんです」。これが石川さん55歳のとき、日本語教育との出会いだった。その後も『日本語教育事典』に携わるが、これが会社としての最後の仕事となった。


 長年、編集者として務めてきた石川さんは日本語という言葉を扱う日本語教師に関心を抱き、さっそく日本語教師養成講座を受講した。さらに日本語の研究を深め、教師としてのブラッシュアップを図るため桜美林大学大学院に入学、61歳で日本語教育専攻修士課程を修了した。それと同時に会社を清算し、同大学の姉妹校でもある韓国ナザレ大学に日本語教師として赴任した。

 韓国ナザレ大学はソウルから南へ80キロ、天安(チョナン)にあるクリスチャンの大学だ。石川さんは今年9月で赴任4年目の後半に入る。教養選択科目としての初級日本語、日本語と日本文化、ビジネス日本語などを担当している。

(外国人教員の研修会で)
 「韓国では高校に第2外国語として日本語があります。けれども日本人が中高で英語を勉強してきても会話ができないのと同じで、韓国人も大学生になっても日本語は話せないし、読解力もない。そんな学生に教えるには韓国語で説明が必要でした」と、石川さん自身、夏休みを利用し、高麗大学で韓国語を勉強した。「例えば、韓国語には日本語のように助詞があります。日本語の助詞が韓国語ではどれに相当するかを韓国語で教えたほうが学生にはわかりやすい。学習に使うエネルギーを軽くすることができるので、覚えるのも早いのです。私もどう教えればよいかがわかってきて面白い」。すると、だんだん上達する石川さんの韓国語に学生たちも驚くという。「学生に、先生も勉強しているんだという姿を見せることが大事ですね」

日本を好きになってほしい

 授業では日本との韓国とのかかわりも題材にする。例えば仏教を最初に日本に伝えたのは韓国だ。「仏教の歴史を通じて日本語に興味を持ってもらい、日韓関係を自分のものとして受け止める。それは教科書だけでは教えられません」。石川さんは学生たちが効率よく学べるよう、プリント1枚に歴史や文化などのテーマを盛りこんだ日本語の文章を記し、前回までに勉強した単語や文法などをちりばめる。


 「おにぎりパーティー」(右写真)も日本の食文化を伝えるのに格好の機会となる。パーティーの前に有志が石川さんの宿舎に集まり、一緒におにぎりを作るのも学生にとっては楽しいイベントの一つだ。

 さらに石川さんが趣味でたしなむ俳句も授業には役立つという。中級では毎学期、句会を開いている。「エッセイを書くのは難しいけれど、俳句なら作れます。自分にもできたという達成感を味わせてあげたい」

 日本語を勉強することも大事だが、石川さんの掲げる最終目的は日本語を好きになることはもちろん、日本や日本人を好きになってほしいということだ。「日本を好きになれば絶対に日本語がうまくなる。だから、日本人の恋人をつくりなさいと学生にはいうんですよ」と笑う。韓国でも日本ブームの波が何度か押し寄せているが、学生たちはJ-POPSや日本人タレント、アニメ、マンガをよく知っている。「夏休みに日本に行きたい、だからお金を貯めるためにアルバイトする。日本に留学したい、だから日本語能力検定1級を取らなくてはならない。そうすると夢中で勉強する。それが私にはうれしいですね」

 こうした学生たちの学習意欲を高めることと同時に、「自分の能力をアップしたい、望みに近づきたいという学習モチベーションを高くする」ことが狙いの一つだという。

辛いと思ったらアウト

 バリエーション豊かな授業内容も人生経験豊富なシニアならではだろう。「社会経験を教えるのが一番です。日本人とは、日本社会とは、日本の中高年は若者をどう見ているのかなどを伝え、逆に韓国ではどうなのかといったことを学生一人ひとりに考えさせる。それができるのが私たちではないでしょうか」

 教師として4年目。試行錯誤しながら手に入れた石川さんだけのノウハウが自信につながった。韓国日本語教育学会の紀要『日本語教育研究』に論文「僅少を表わす修飾語の用法」を発表したのも、日本語そのものへの高い研究意欲のなせる業だ。「世界中どこへ行ってもノウハウが使える。怖気つくこともない。でも余分なエネルギーは使わない。教壇に立つ力がある限り、教師を続けていく」と言葉に力がこもる。

 海外生活自体も4年目。「辛いことは辛い。長く暮らしていると、韓国の嫌な部分も見えてくる」という。だが、石川さんはその辛さも「辛いと思ったらアウト。自分自身や周囲との関係のなかで、その辛さをどう切り崩していくか、それを考えていくのが人生の面白さですよ。そうでなければ外国では暮らせない」と屈託のない表情を見せる。50代の4年間、夏秋の8回にわたって比叡山の千日回峰行を1泊2日で修行体験する行事に参加したという。その経験が石川さんの精神を支えているのだ。

退職しても人生は続いている

 さらに石川さんが授業でも活用している俳句は50代で始めた。46歳でマラソンを始め、7年間でフルマラソンに8回出場した経験もある。53歳でドクターストップがかかり、あえなく続けられなくなったが、旅先で出会った芭蕉の俳句がきっかけで今度は句会に通うようになった。韓国ではソウル俳句会に、帰国の折には朝日俳壇選者・長谷川櫂氏が主宰する結社「古志」で句を詠む。東京大学在籍中にはいわゆる落研に所属していたから、OB会である「東大落語会」でも落語を観賞する。

 趣味を多く持つことが「日本語教師・石川潔」色を鮮明にさせている。だが、さらに重要なことは、石川さんは50歳のとき、すでに60歳からの人生をイメージしていたことだ。「例えば長年務めた仕事を退職して、『はい、ここで終わり』ではないんですね。終わりと思うから絶望感を味わってしまう。そこは一つの節目ではあるけれども、人生は続いているんです。明日から新しくしようという発想は捨てるべき。『続く』ということを自分にしかけることが大事です。そのためには5年先10年先を見つめて、早くから準備することです」

 人生は途切れるのではなく続いている――。そんな発想で自身を見つめてみれば、案外苦しむことなく自分の生き方が見えてくるのかもしれない。
(2009.9.10)

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