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りらいぶジャーナル

蛍川

~ ある出会い / 南部スラーターニーにて ~

>>スラーターニー市に滞在中の休日、まったくの偶然からJICA青年海外協力隊の一員として市郊外のクンタレー開拓地で活躍中のSさん、さらにナコーン・シー・タマラートから来訪中のKさんと半日を共にし、お二人から貴重なお話を伺う機会を得た。<<


 南部スラーターニー市は「スラート」として親しまれ、バントン湾に注ぐ南部最長の大河、タピー川の河口に開けたゴムとココナツの交易で賑わう活気ある港町だ。バンコクから南へ650キロほど、市名のいわれが“City of Good Peoples”(良い人々の住む町)というのもどこか微笑ましい。
南部タイ最大の面積を持つスラーターニー県はまた、人気のサムイ島、パンガン島、タオ島など、タイ湾に浮かぶ多くの海洋リゾートでも有名である。これらの島々やアンダマン海側のプーケット、パンガー、クラビーへ行く旅行客はこのスラーターニーが基点となり、ここは南部タイへの入口となる交通の要衝でもある。


 タイ国鉄南本線が通る鉄道駅は街の西14キロほどにあるプンピンにあり、サムイ島への主要なフェリーやエクスプレス・ボートも、ナイト・ボートを除いて市街東50キロほどのドンサクやタートンの桟橋から出航する。こうしたことから、スラーターニーは観光都市とはいい難く、ほとんどの旅行客はこの街を素通りしてしまう。
 しかし、腰を据えてみると雄大なタピー川の流れや、そこかしこ浮かぶ水上集落、昔ながらの漁村風景、さらにサルを使ってココヤシの実を採取する伝統のモンキー・カレッジなど、南部タイならではの風物が楽しめる街だ。


 市街はタピー川に沿ってナイト・ボートの船着場があるバンドン通り、にぎやかなナムアン通り、タラートマイ通りが平行して走り、バスターミナルからは南部各地への長距離バスや「ロット・トゥー」と呼ばれるミニバンがひっきりなしに発着している。
 タピー川の中州に浮かぶ市民憩いの場、ランプー島やココナツ・プランテーションの広がるバーン・バン・マイを訪ね、川風に吹かれてのそぞろ歩きはこの街ならではの楽しみであろう。タピー川の岸辺はマレーシアのセランゴール川などと同じく無数の蛍(ホタル)が集まり、幻想的な光の明滅を見ることができる場所として名高い。
 ゆるやかに流れる大河タピー。その漆黒の闇に浮かび上がるほのかな灯り。蛍川では今日もまた淡い灯りが川面に揺れているのだろうか。


 市街から北へ約55キロ、タイ最古の都市のひとつとされるチャイヤーは、今日では何の変哲もない小さな田舎町だ。ここにシュリーヴィジャヤ帝国の栄華の跡、ワット・プラ・ボロムタート・チャイヤーを始めとしたいくつかの寺院遺跡が残る。
 シュリーヴィジャヤ帝国は7世紀後半から13世紀にかけて、スマトラ島のパレンバンを中心にマレー半島上部域を支配し、その拠点が置かれたのがチャイヤーとされる。


 圧巻は何といってもワット・プラ・ボロムタート・チャイヤーであろう。今日では見事に修復されたシュリーヴィジャヤ建築の粋を凝らした仏塔が燦然と佇む。この仏塔を囲む回廊や彫刻群も実に興味深い。寺院の正面には美しい庭園を持つ国立チャイヤー博物館があるが、地域の出土品などとともに旧日本軍の日本刀や軍用銃が展示されているのには驚いた。確かにタイ湾側の南部海岸は太平洋戦争開戦時に日本軍が上陸、進攻を開始した地点である。ここは小さいながらも必見の博物館である。

 スラーターニー方向にしばらく戻ると、鬱蒼(うっそう)とした丘の斜面に近代的建築のワット・スアンモークパララームがある。

 ここはパーリー語経典の研究で名高い高僧アジャーン・ブッタタート・ビクによって創設され、その哲学は南方上座部仏教の概念に加え、キリスト教などの要旨が融合した極めて普遍性の高いものとされる。建物外壁に複製されたインドの彫刻、抽象的な仏教画の数々が掲げられた内部、この静謐(せいひつ)な寺院では仏僧による静かな禅問答が強く印象に残った。

 木々が生い茂るワット・スアンモークの境内はなんとも不思議な空間である。なお、寺院の付帯施設であるInternational Dhamma Hermitage (IDH)では、毎月初めに寺の僧による10日間の瞑想隠遁体験が開催されており、欧米からの旅行客を含め多くの人々が参加しているとのことだ。


 スラーターニー市に滞在中の休日、まったくの偶然からJICA青年海外協力隊の一員として市郊外のクンタレー開拓地で活躍中のSさん、さらにナコーン・シー・タマラートから来訪中のKさんと半日を共にし、お二人から貴重なお話を伺う機会を得た。
 Sさんは地域住民の生活向上を目的とした村落開発普及員として在宅障害者支援、ろうけつ染め職業グループ支援など多岐にわたる活動ですでに1年半をこの地で過ごし、Kさんは電気関連の技術指導でこれからほぼ2年、ナコーン・シー・タマラート市郊外の町で過ごされる。


 今回はJICAと青年海外協力隊について触れてみたい。
 独立行政法人国際協力機構(JICA:Japan International Cooperation Agency)は2003年10月、前国連難民高等弁務官として活躍された緒方貞子氏を理事長として迎え、前身である「国際協力事業団」を引き継いで新たなスタートを切った。新生JICAは「よりよい明日を、世界の人々と」のスローガンのもと、「情熱をもって、誇りをもって、日本の人々と、世界の人々と、未来のために」の誓いに加え「日本と世界の人々を結ぶ架け橋として、互いの知識や経験を生かした協力をすすめ、平和で豊かな世界の実現を目指す」という使命を宣言している。JICAはこれを理念として、1954年に始まった政府開発援助(ODA:Official Development Assistance)の技術協力と無償資金協力の一翼を担い、開発途上国に対する経済援助を展開中である。


 青年海外協力隊(JOCV:Japan Overseas Cooperation Volunteers)は、このJICAにおける一事業として65年4月に発足、青年たちの海外に向ける熱い思いに道を開くべく今日に至るまで延べ2万5000名を超える若者が全世界に派遣され、現在でも2500名以上(以下06年5月末現在)の隊員が世界76カ国で活躍中だ。その活動分野は広く、細分すると120種以上もの職種があり、近年では農業部門よりも学校教育分野、社会福祉関係、文化やスポーツ関係への派遣要請が多いという。
 20歳から39歳までの若者を支援するこのプログラムの任期は原則として2年間。現在タイでは43名の方々が派遣され(すでに479名の方々が帰国)、各地で人々と共に同じ言葉を話し、同じ家に住み、同じものを食べながら、草の根レベルのボランティア活動を通じてタイ王国の人造り、国造りに貢献している。


 お二人の話は新鮮であった。そこには私たち旅人が目にする光景とはまったく異なる視線がある。日本やバンコクという都市部での生活が当たり前の私たちに想像できるだろうか。今でこそ水道が引かれたとのことだが、当初は雨水を飲料水とする生活、専門技術の指導以前の問題として日常生活のコミュニケーション。そんな難題が待っている地へたった一人で入っての活動である。
 当初は泣きたい気持ちもあったことであろう。人は困難に直面した時にこそ、その真価が問われる。そんな時、誰も自分が考える最善の方向へと、これまで学び経験してきたこと、持っている雑学のすべてをぶつけてその問題に対処せざるを得ない。海外での生活は本来こうしたことが基本であり、日々がその繰り返しである。そんな中からお互いの信頼が生まれ、友情が芽生え、真の草の根活動が生まれてくるものだ。


 現地での2年間はむしろ辛いことのほうが多いのであろう。しかし、この経験は10年経ち、20年が経って自己を振り返った時、歳月はすべてを楽しかった思い出に変え、間違いなく有形無形の力となるものだ。
 今、この時間を大切に、周りの人々を大切に、この貴重な機会を与えてくれたすべての人たちに素直に感謝の気持ちを持って欲しい。青年海外協力隊の目指す「草の根レベルのボランティア活動」は、その本分たる技術指導もさることながら、本質は日々の暮らしの中にこそある。広く海外に目を向けて人々の暮らしを知ること、それを通じて日本の未来を考える真の国際人を作り出すことであろう。

 一隅を照らす小さな蛍の灯りは、やがて大きな太陽となって世界を照らす。お二人のみならずタイ全土、並びに世界中で活躍する青年海外協力隊のみなさんに熱いエールを送りたい。

(注)JICAおよび青年海外協力隊の紹介は国際協力機構のHPから引用させていただきました。
※本稿はバンコクにて発行されている日本語情報誌「Web」 2006年9月16日号掲載の記事に加筆・修正したものです。

【写真・文】小田俊明  旅行作家。大手エンジニアリング会社に在職中、中東を中心に世界各地の大型プラント建設プロジェクトを歴任。早期退職後、2002年より執筆活動に入る。タイでは同国政府観光庁他の要請により、日本人にまだ知られていないタイ各地を巡り、その魅力を現地バンコクの情報誌等を通じて紹介。中高年層にも向く新しい切り口の紀行エッセイとして『ウィエン・ラコール・ホテルの日々』(文芸社)にまとめる。本ウェブに小田俊明のアジア通読本も連載中。

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