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りらいぶジャーナル

「モンッア・ミラノ」

■わが心の故郷イタリア -笠ひろし-
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 英語、仏語、独語は勉強していたが、赴任地のイタリアは言葉を始め、初体験のことばかりで最初はかなりとまどいがあった。

 週末は下宿にいてもごろごろするだけなので、レップに頼みこみ、土曜日はミラノの電気店に手伝いに行くことにした。店は午前中だけだったので午後の時間をどう使うか悩みの種だったが、幸いにも商社の現地法人の社長からゴルフの誘いがあった。ミラノ近郊のゴルフ場は4、5か所あったが、車で30分のF1レースで知られているモンッア公園に隣接して36ホールのコースは名門だ。

 イタリアのゴルフ場は現在約300か所と聞いているが、そのうちミラノのロンバルディア地方が2割近く占めている。30年前はイタリア全土で56のゴルフ場だけだったのに。このモンッアの会員になるには2名のメンバーの推薦者が必要で、日本人グループでは総領事だけが会員だった。誘っていただいた社長も古くから駐在して会員並みの扱いだったので同伴できたのである。

 モンッアのゴルフ場だけでなく、イタリアのゴルフ場の特徴は、キャディはこちらから頼まないと付いてもらえない。チップで稼いでいるので、彼らはプレイヤーに気に入られるようにコースをよく知っていて、方向、距離、芝目の読みなど的確に教えてくれた。余談だが、日本人グループのコンペの場合は、売込と指名合戦になることも多かった。また、クラブ形式なので家族、友人を招いてよく食事をする。市内の一流レストランよりおいしい料理が提供される。

 日本人のグループの発案でプレイの後の飲み物には日本では生ビ-ルが定番だが、バーテンに特別に作らせた飲み物がある。ドイツ語のスキーバッサー(スキーの水)にジンを加えた、スキバッサー・コン・ジンで乾杯したものだ。

●バックナンバー
<6> 「フィエラ・デ・ミラノ」
<5> 「ファド」と「シャンソン」
<4> 「エスプレッソ」と「カプチーノ」
<3> フェリーチェ・アンノ・ヌオヴォ(新年おめでとう)
<2> トラットリア・ロキシー
<1> ボナセラ、シニョール!

【りゅうひろし】企業コンサルタント。エッセイスト。大手電器メーカーに入社し、1960~70年代の欧州市場開拓の先駆者となる。徹底した現場主義を貫き、イタリア中心にポルトガル、スペインの販路開拓と現地法人立ち上げの協力体制づくりには定評がある。