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りらいぶジャーナル

未来の子どもたちのために働く――元気で生きがいを持てるシニアの生き方を提案

株式会社オーロラインターナショナル代表/KYG栄養カウンセラー 伊藤 昇さん

 健康と生きがいをテーマとした講演活動に東奔西走する伊藤昇さん。かつてサラリーマン時代に基盤としていた地に地域住民のためのサロンを開いている。自身の人生を振り返り、新たに歩み始めた生き方を語ってもらった。


 私は戦後の昭和22年、岩手県の農家に生まれました。東京オリンピック直後に上京して金融機関の営業として約20年働きました。一生懸命、真面目にお客様サイドに立った営業を心がけ、それなりの出世もしていました。

 けれども40歳のころ、独立して事業をやりたいという気持ちが強くなり、42歳で退職しました。時はバブルの絶頂期、次々と建設されるビルのメンテナンスに多くの需要があると踏んだのです。しかし私は事業資金を作るために、株の信用取引に手を出してしまったのです。その直後にバブルが崩壊、瞬く間に2億円の債務を抱えることになってしまいました。それからは当然地獄でした。毎日毎日、借金取りに追われる身となったのです。

 そして子どもの頃に父から受けた「人様に迷惑をかけるな」「人の物を盗むな」「金がなくとも心の貧乏をするな」という心の教えを思い出し、父の教育を裏切ったことに気付き、馬鹿なことをしてしまったと自分を責めました。

 その頃、日本にはアメリカから新しい形のビジネスが入ってきていました。とにかく早く資金を作って返済したいという思いからアメリカにも渡り、将来性のあるビジネスについて勉強しました。その結果、これからは予防医学の時代だと確信を持ちました。未来の子どもたちのために、大人自身が老いても元気でみんなが生きがいを持ち、社会貢献しながら社会も世界も地球も良くしていきたいという思いが強くなり、それが第2の人生のテーマとなっていったのです。

 もう一つ、振り返れば私が健康をテーマにしようと思った大きなできごとがありました。私が25歳のとき、母が約2年間の闘病生活の末、がんで亡くなりました。死ぬ間際、47歳だった母の体重は23kgしかありませんでした。
 その母の遺体を火葬場で焼くのに9時間もかかったのです。なぜそんなに時間がかかるのだろうと焼却炉の小窓を覗くと、遺体の1カ所だけいつまでも青い火が消えないのです。抗がん剤の影響でした。それを見たショックと母の苦しみを感じた悔しさで大泣きしたことを今でも覚えています。今にして思えば、母が命を捨てて命の大切さ、予防の大事さを教えてくれたと思っています。

 そして今から約10年前、NPO法人KYG協会理事長で医学博士の宇住晃治先生との出会いがありました。この協会は『Know&Keep Your Genes(あなたの遺伝子を知り、そして守りましょう)』という遺伝子レベルの健康運動を展開しています。最近、一般の人々にもテレビや新聞を通して遺伝子という言葉や情報が多く届き始めましたが、私は先生との出会いで病気や老化にも遺伝子が深く関わっていることを知り、また人間が他の生物と同じ遺伝子を持ち、その生物たちの命をいただいて生きていることを知りました。

そこで、私たちがこの地球上でどう生きたらいいかを考えることを訴えていきたい、できるだけ多く心ある方々と出会いたい、そんな目的を遂行するためにサロンを開きました。
 サロンを開いた地は以前独立を試みて失敗し、さまざまな方に迷惑をかけた場所です。その方々に少しでも恩返しをしたいと思い、サロンで健康セミナーを行っています。また、貴重な遺伝子の健康情報を全国での講演活動を通じてみなさまに伝え、多くの共感者を得ています。
(2009.06.11)