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りらいぶジャーナル

『君よ憤怒の河を渉れ』

『君よ憤怒の河を渉れ』
西村寿行著(徳間文庫・2005年11月15日文庫新装版刊)
724円+税

※映画DVDは2008年3月発売(角川エンタテインメント)


 本書は今から30年前以上も前の冒険推理小説であり、文中にアジアの「ア」の字も出て来ない。1976年、この作品を基に佐藤純爾監督、高倉健主演による映画が製作され、これが中国で大ヒットした。当時の中国では日本との国交が回復し、改革開放が導入されて市場経済への移行が模索されていた時代である。中国を旅すると、この映画が今なお人々の話題に上るのを耳にする機会が多いのに驚かされる。78年の映画公開後、中国では高倉健イコール日本人というイメージさえでき上がったとのことだ。北京オリンピックの開会式を演出した中国映画界の巨匠、張芸謀監督も高倉健主演の映画製作を夢見て「単騎、千里を走る」を撮ったのはご存知の通りである。

 現職の検事がある日突然無実の罪を着せられ、過去も未来も失って逃避行を余儀なくされる。主人公は思いもよらぬ陥穽に真実を突き止めるべく立ち上がり、警察・検察の包囲網をかい潜って北海道へと渡る。そこから始まるたった一人の権力との闘い。古い映画となってしまったが、実に良くできた脚本に今見ても文句なく面白い。逃亡検事役の高倉健、執拗に追う刑事役の原田芳雄、どちらも迫真の演技で見る者を惹き付ける。一方、原作となる本書も冒頭から読者を惹き込み、映画とは違った謎解きの妙も冴え渡る第一級の冒険推理小説、全編手に汗を握る展開である。

 本作の何が中国の人々をこれほどまでに熱狂させたのであろうか。長い戦乱の日々、混沌とした戦後、毛沢東による解放とそれに続く文化大革命。中国人民は激動の時代に翻弄され続けた。映画公開当時は「資本主義社会の闇を描いた作品」との大義名分があったと聞くが、人々にとっては理不尽といわれることさえも堂々と罷り通ってきた正義なき時代へのアンチ・テーゼだったのかもしれない。映画では最後に主人公・高倉健が語る「法律だけで裁いてはいけない罪があり、法律では裁けない悪がある」という言葉が実に印象的だ。冒険推理小説もこうした眼で読むと、また違った面白さが生まれて興味は尽きない。

◆バックナンバー
『貧困のない世界を創る ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』
『バンコク バス物語』
『闇の子供たち』

【小田俊明】旅行作家。大手エンジニアリング会社に在職中、中東を中心に世界各地の大型プラント建設プロジェクトを歴任。早期退職後、2002年より執筆活動に入る。タイでは同国政府観光庁他の要請により、日本人にまだ知られていないタイ各地を巡り、その魅力を現地バンコクの情報誌等を通じて紹介。中高年層にも向く新しい切り口の紀行エッセイとして『ウィエン・ラコール・ホテルの日々』(文芸社)にまとめる。本ウェブにコラム「まだ見ぬ癒しのタイランドへ」連載中。