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りらいぶジャーナル

自身の経験を小説化

田舎暮らしで晴耕雨筆の羽鳥宏さん
『少年の八月十五日』新城宏著(湘南社)

※新城宏はペンネーム

 神奈川県湯河原町で「晴耕雨"筆"」の生活を送っている羽鳥宏さんは少年時代、会社員時代、退職後の生活、親の介護といった自身の体験をまじえて小説化した。これまでにもエッセーを何冊も出版しているが、「小説を書いてみたいとずっと思っていた」と言う。「書き溜めた原稿がいくつもあって、今回はそこから抜粋しました」。

 羽鳥さんは大学卒業後、業界紙記者として3年務めた。その後、記者時代に取材先企業の経営者との付き合いがあったことや関連会社で経営に携わったことから経営に興味を持ち、経営書をむさぼり読んだ。そして独立し、情報通信サービス会社を立ち上げた。その会社も今や東証一部上場企業だ。
「実際に体験したこととと身近にいた人物をモデルにするなどして書きました。やはり体験が生きて細かい描写ができましたね」


 ただ戦時中に疎開先の農村で過ごした日々が原風景となり、在職中も都会で暮らしながら自然への憧れを抱いていた。自宅の一部屋を占有して洋鳥の繁殖をしたり、何種類もの和鳥を飼った。また、ウグイスの初鳴きやヤマガラのおみくじ引きも試みた。このときの体験は『野生のいのちは温かかった』(三省堂書店)にまとめた。それぞれの鳥の習性や鳥にまつわる古老の話などをつづったものだ。「バードウォッチングが流行っているけど鳥は実際に飼ってみないとわからない。名人作の竹籠は芸術品だし、飼育方法とともに伝統文化です」

 さらに、自宅ベランダを占有して盆栽も始めた。現在も庭に松や杉などの常緑樹、欅や楓などの落葉樹など年代物を20鉢程度所有している。庭木を自分で管理するため、通信教育で造園管理士の技術も身につけた。「自身の好きな樹形に作り込んでいく、生きたもので芸術する、この手のかけ方に奥深さを感じます」

 「何でもやってみなければ気が済まない」という性格は退職後も変わらない。田舎暮らしを実現させるため、国内外さまざまな場所を見て回った。そして現在暮らしている家を別荘としてしばらく利用した後、1999年に完全に移住、さっそく農ある暮らしを始めた。「最初は野菜を作りました。でも農薬を使うことに疑問を感じ、今は自然農法で食べる分だけ栽培しています。一番この方法が自分に合っていますね。それから土地の半分はミカン畑なので、多品種化して30種もの柑橘類を揃えました」

 しかし、田舎暮らしを始めるにあたって、「妻の存在は大きい」と羽鳥さんは言う。そこで、それぞれ好きなことを自由にやるということにした。自動車もパソコンも別々に持った。妻の淑子さんは陶芸、絵画、水泳に精を出す。本の挿絵は淑子さんの作品だ。
 食事も別々になることがあるので、羽鳥さん自身も料理を覚えた。得意料理は石狩鍋の残り物から創作した「ぺペロンチーノ石狩風」と地元のカレー料理店でヒントを得たシーフードカレーだ。

 退職後の生活を楽しむ羽鳥さんの秘訣は自分の好みを自分なりに決めたということだ。「信じた道を行くこと。一般的に田舎暮らしでは『周りになじむべきだ』とよくいわれますが、まずは自分の個性をはっきり出したほうがいい。そのほうが認められると思います」

 羽鳥さんの田舎暮らしは年齢とともに「書く」ことに比重が移りつつあるという。
「関心のある分野は田舎暮らし、自然環境、戦争と平和。今は昭和を語るうえで貴重な資料を集めながら、昭和史を土台に自分史を書いています。自分の生き方と時代との意味を追ってみたいですね。出生から学業を終えるまで、起業から引退まで、晴耕雨筆の現役人生と三部作の大河小説に仕上げたいですね」
 戦争を体験した羽鳥さんにとってタイトルにもなっている「8月15日」は特別の意味を持つ。羽鳥さんはこの時期、戦中と戦後教育の狭間にあたる。戦後、中学で新しい憲法について学んだときは身を乗り出して聞いたという。「憲法9条は理屈抜きで守るべきだ」、戦争体験者が語る言葉の意味は重い。昭和という時代を生き抜いた著者の発するメッセージを聞いてみたい。

●『少年の八月十五日』新城宏著(湘南社)1500円+税
(2009.5.10)