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りらいぶジャーナル

川柳で日本語を教える、日本文化を伝える

●秋山春海さん

 「小学生のころ、国語の先生になりたいと思っていた」という秋山春海さんはその夢を果たそうと、2007年春に千駄ヶ谷日本語教育研究所前橋校の日本語教師養成講座に入学した。70歳のときだ。

 秋山さんは群馬県伊勢崎市の老舗茶専門店「茂木園」の3代目。今は4代目が店を継いでいる。

「家業なので自分で定年を作らないといけない。でも辞めてから何をしようかと考えていては遅い。だから趣味はむしろ多いほうがいい」と始めた川柳も17年になる。地元伊勢崎で明治以降盛んだったという川柳の歴史をたどった著書『伊勢崎の川柳遺産ここにあり』(紙鳶社)も昨年出版したほどで、言葉に対する関心は高い。

 「伊勢崎にはブラジル、ペルー、フィリピンなど外国人労働者が多く、日本語を学びたい人がたくさんいます。資格取得後は地元の国際交流協会で日本語ボランティアの教師として教えています」

 家業に携わっていた50年は全国茶商工業組合、商店街振興組合や商工会議所などとの付き合いだが、今度はまったく職業も年齢も国籍も無関係、「世界が広がって外国人の友だちが増えました」。ロータリークラブの国際奉仕活動にも参加していることもあって、「外国人は大好き」と笑う。日本語教師として触れ合うことでの新しい出会いに嬉々とした表情を見せる。


 授業は毎週日曜日に開催している。初めて教室にやって来る外国人には「授業を始めます」「終わります」「休憩です」もわからない学習者もいる。そこで、自分で描いた絵を掲げて説明したり(=右写真)、各国の辞典を片手に共に学ぶ工夫を凝らしたりしている。

 そして、教室でも得意の川柳が活躍するのだ。例えば新年には自筆漫画の牛の絵を見せながら、「いいとしの いのじにみえる うしのつの」と川柳を詠む。「川柳を世界に広めたい」、そんな思いを抱きながら、五七五のリズムで日本語を教授するという秋山さんならではの方法を編み出している。

 授業を受ける外国人たちは生活に密着した会話が必要なだけに、日常困ったこと、つまり生活相談も授業の題材になる。最近は企業のリストラの影響を受け、再就職に必要な日本語指導にも奔走しているという。
 「もっと勉強しなくては、と思います。聞かれたことに即座に答えられるようになることが理想ですね。そのためには教師同士のコミュニケーションが重要ですし、教師がレベルアップできる新教材も必要です」

 「これからもいろいろな人に出会って感動の輪を広げ、面白くて為になることを勉強していきたい」――。秋山さんの好奇心は尽きることがない。
(2009.4.23)


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